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2024/03/29 19 : 10
CATEGORY : [こぼれ話]
ペーターは、寄寓人がモスクワで暮らしていた頃に部屋を分け合っていたルームメイトだ。モスクワに暮らしていた頃、ルームメイトは何度も変わった。ペーターは、オランダ人。モスクワで心機一転、新しいところに住む場所を変えたときのルームメイトだ。互いに干渉しない関係で、パーティに誘われて一緒に遊びにいったことがあるぐらいで、共に暮らしたのは3ヶ月ほどだったけど、親密と呼べる関係ではなかった。
でも、ペーターのママとは忘れられない思い出がある。ペーターのママがモスクワにおやってきたとき、すてきな笑顔を見せてくれた。シガーを愛用し、器用に煙草を紙に巻く。まず、紙を広げ、ひと掴みの煙草を撫で、くるりと巻いて端っこを小さな舌を出して、すっと横に引く。私には真似できない綺麗な煙草だ。それがとても格好良くて、一時粋がって真似したこともあるけど、へたくそなままやめてしまった。
その年、モスクワを出て、ポーランド、ドイツ、チェコ、ハンガリー、オーストリアをぐるぐるとバックパッカーになって渡り歩いた。ブタペストからシュトゥットガルトに向かい、そこで友人宅にしばらく世話になり、さて次はどこに行こうかと考えているときに、ペーターのママを思いだした。モスクワを出るときにペーターからもらった名刺に、ペーターの自宅住所と電話番号が書かれていた。オランダなんて小さい国だから、行けば会えるだろうと気軽な気持ちでアムステルダムに向かい、その名刺にある電話番号に電話した。「覚えてる?」「もちろん!」「遊びにいってもいい?」「もちろん!」という感じだったけど、彼女の住んでいるのは、アムステルダムから遠く離れた片田舎シュタッツカナルというところだった。バスに長く長く揺られ、教えてもらったバス停で降りると、そこは視界を遮るものがない農村の十字路だったように記憶している。すると、なぜか東ドイツ製トラバントにのってペーターのママがやってきた。笑った。助手席のドアに手をかけるが、ドアが開かない。ペーターのママは、運転席から足を伸ばして、蹴ってドアを開けた。農村ののんびりした道を走るトラバントの軽いエンジン音で私はわくわくした。
シュタッツカナルの彼女の住居は、昔フィリップス社の社宅だったようだ。ペーターは、そのときはまだモスクワにいた。息子のメイトということで、歓迎してくれた。ペーターの部屋はそのままで、私は彼のベットを借りて、しばらく居候した。
なにもないシュタッツカナル、でもとてもかわいい街だった。小便小僧が街の観光スポットだったり、名前のとおり運河があったり、ペーターのママに街を案内されても、小一時間で案内し尽くしてしまう。
ペーターのママは、英語も片言。でも、いつも笑顔で私たちはお喋りを愉しんだ。あるとき、農家の友人宅に晩ご飯食べに行くが、一緒に行くかと聞かれ、「もちろん!」と誘いに乗った。日本人が滞在しているというので、関心があるとのことだ。晩ご飯をご馳走になるのなら、これはお腹を空かしていかなければならないと、モスクワのご家庭訪問でイヤというほど食べなきゃならない招待ご飯を思い起こし、ペーターのママのお昼ご飯も軽くしてもらい、出かけた。水車のある農村。美しいオランダの風景だった。
ペーターのママの友人は、歓迎してくれたけど、ご家族みなさんも英語が苦手のようで、片言のコミュニケーション。少しぎこちない。晩ご飯を用意する時間になり、そのお家のご主人が、おそるおそる私に尋ねる。
「パン好きか?」「好きだ!」
「ハム好きか?」「好きだ!」
「チーズ好きか?」「好きだ!」
「ビール好きか?」「大好きだ!」
出てきた晩ご飯は、ちょうどアルプスの少女ハイジが大好きなパンに熱々のチーズを載せたものと同じだった。それにハムが重ねてある。あれ?これだけ?と拍子抜けしつつ、うまいチーズ載せパンをほおばり、ビールを飲んだ。すてきな思い出だ。
それから、ずっと私はペーターのママと毎年絵はがきの交換をしてきた。ペーターと連絡とった試しはないのに、ずっとペーターのママとは絵はがきを交換し、短く簡潔に自分の人生の変化を知らせ続けてきた。
ペーターのママの名前を私は知らない。出会った時から「マム」と呼び、絵はがきの宛名も、Peter's Mamだったからだ。ペーターのママも、私への絵はがきには、名乗らず、いつもPeter's Mamと書いてきた。だから、ペーターのママは、いつまでも私にとってペーターのマムなのだ。
今日、ペーターから手紙が届いた。ペーターのマムが7月15日に亡くなった。62歳だった。オランダのマムのお家は引き払ったそうだ。ペーターによると、マムは毎年イギリスのペーター宅に訪れる度に絵はがきを私に送っていたそうだ。今日届いたペーターの封筒の私の宛名の直筆が、いつものマムの字だと気づいて、そうかいつもペーターに私への宛名を書いて貰っていたんだとわかった。マムは、この夏も休日を使ってイギリスの息子に会いに行ったら私に絵はがきを送りたいと行っていたそうだ。ちょうど、マムが亡くなる数日前のことだったそうだ。
ペーターのマムは毎年私が送った絵はがきを詰めた箱を遺していったそうだ。マムは大切にしていたそうだ。
ペーターのマムにお礼を言って出て行ったのは、もう17年も前の話になるだろうか。器用に格好良く煙草を巻くマム。干渉せず、でも人なつっこく、笑顔の素敵なマム。私には忘れられない粋な人だった。もう絵はがきは送れないし、貰えない。大切な人の絵はがきがもう来ないことに、私は何で埋め合わせばよいのか見当もつかない。
ペーターの手紙にも、彼女の名前は記されていなかった。彼女とのお別れもまた、ペーターのマムのままだった。

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2011/08/27 00 : 57
こめんと [ 0 ]
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